Article Highlights

国際原子力機関(IAEA)に提出した報告書において,日本政府は,福島第一原子力発電所事故は,東北地方太平洋沖地震が起こしたものはなく,地震がもたらした津波が発電所の冷却装置の電源喪失を引き起こし,その結果3機の原子炉のメルトダウンに至ったものだと述べている.1960年代に設計された福島第一原子力発電所の津波対策は,当時の科学データに照らして考えれば,妥当なものであったと辛うじて言えるかもしれない.しかし,1970年代から2011年の事故に至るまでの間に,大規模地震と,それが引き起こす津波の可能性について新しい知見が得られるようになった.ところが,こうした科学的知見を,事業者である東京電力も,規制当局も無視したのである.規制当局はIAEAのガイドラインに従って適切に津波対策を見直すことをせず,十分な対策を怠ったまま福島原発の稼動を許可し続けた.少なくとも諮問委員会の一人からはっきりとした警告を受けたにもかかわらずである.規制当局の独立性の欠如がこうした無為を招いたようである.日 本政府と電力会社が描いた安全神話の幻想が,事故のリスクに関する誠実でオープンな議論を抑える働きをした.地震予知事業等に関連する政府機関(気象庁, 文部科学省の地震調査研究推進本部等)は時代遅れで不出来なパラダイムに捉われており,このため,切迫した危機にさらされていると想定している東海地方で の地震ばかりに重点を置き,他の地域の地震を軽視してきた.その結果,規制当局と事業者は福島第一原子力発電所の大事故を回避する機会を何度となく逸してきたのである.

2011311日,日本の太平洋沖で発生した巨大地震(米国地質調査所の発表ではマグニチュード9.0)が,「遡上高」で最高41メートルにもなる破壊的な津波を発生させ,東北地方の太平洋沿岸650キロメートル以上に深刻な被害をもたらした.遡上高というのは,陸に押し寄せた津波の最高到達高度を海抜高度で表した値であり,一般には海岸線での津波の最高波高(「津波高」)よりも相当高いものである.

激しい揺れのあった地域には5つの原子力発電所があり,その中でも東京電力の福島第一原子力発電所と福島第二原子力発電所は甚大な被害を被った.特に福島第一原発の4つの原子炉は深刻な損傷を受け,たちまち大事故を引き起こした.世界中の人々は,日本の沿岸部に設置された原子力発電所の津波対策の脆弱性に驚いた.19601970年代になぜこのような設計が許可されたのだろうか? そして,なぜこれまでの間,追加的安全対策が講じられてこなかったのだろうか?

福島原発の設計基準津波

福島第一原子力発電所の6基の原子炉の建設は1967年に始まった.当時津波の危険性はあまり認知されておらず,さらに原子炉の付近で以前に起きた津波が大きな遡上高をもたらしたことを示すデータもなかった.図1は東北地方で800年から1965年までに起きた津波の遡上高データである1.これは1960年代半ば,福島原発の設計者が入手できたデータとおおよそ同じものだと言える.

1:記録された東北沿岸部の過去の津波の遡上高を示した地図.示されているデータは800年から1965年までの期間のもので,出典はノヴォシビルスク津波研究所のデータベース.垂直のスケールは図の右下に示してある.

原子炉設計の段階では,設計基準津波高は3.1メートルであった.この数値は1960年にチリで起きたマグニチュード9.5の地震の際福島で観測された津波高に基づいている.2002年に東京電力および規制当局は,日本土木学会分科会からの報告に基づき,設計基準津波高の見直しを行い, 1938年に起きたマグニチュード7.9の塩屋埼沖地震を考慮し,福島第一原発原子炉の設計基準津波高を5.4メートル~5.7メートルとするのが妥当と決定した.

2011年の東北地方太平洋沖地震とその津波は,日本の「沈み込み帯」の中でも特に活発な部分で発生した.この地域では津波を伴う大きな地震が頻繁に発生している.記録によると,東北沖で869年以降発生した海底地震に伴う津波の数は70にも上る(Iida, 1982;渡辺,1998).その中には,25メートル~38メートルの遡上高と何千人もの死者をもたらした破壊的津波(表1)が少なくとも6件ある.

表1.東北地方における記録的な津波に関するデータ
日付 マグニチュード 最大遡上高(メートル) 死者数 備考

869年7月3日
(貞観)

M>8.5

不明

>1,000

東北地方における大地震.仙台平野は内陸部4キロメートル まで浸水.

1611年2月2日
(慶長)

M>8.0

25

>5,000

三陸における強い地震.本州 の北東部沿岸全体が津波により浸水.

1896年6月15日

M=7.6

38

27,122

大きな地震動を伴わない静かな「津波地震」による破壊的津波.

1933年3月2日

Ms=8.1

28

3000

破壊的な津波を伴う強い地震.三陸地方では6,000戸以上の 家屋を破壊.

1960年5月24日

Mw=9.5

5-7

142

チリの大地震による津波が 太平洋を伝播し日本の10,000 戸以上の家屋を破壊.

1968年5月16日

Mw=8.3

4-5

0

大地震であったが,起きた津波 は小さく死者ゼロ.

2011年3月11日

Mw=9.0

40

20,202

大地震とそれに伴う東北沖 全体を襲った破壊的津波.タイムリー な警告にもかかわ」らず,主として津波により20,000名以上の死者.

M = 巨視的マグニチュード(被害状況から推定); Ms = 表面波マグニチュード; Mw = モーメントマグニチュード2011年地震の死者数(行方不明者を含む)は警察庁のホームページによる2011827現在).

1の遡上高データから,太平洋沿岸に,大きな津波の危険性がある地域がいくつかあることが明らかに見て取れる.しかし,このデータは同時に,福島第一原発の設計および建設段階においては,同原発付近の沿岸地帯を過去に襲った大きな津波の事例は知られていなかったということも示している.従って,ある意味では3.1メートルという設計基準津波高は,妥当であったということもできるだろう.しかし,一方,当時においても,東北の他の地域が何度となく大きな津波に襲われたことが知られていた.1896年の三陸沖地震(遡上高38メートル),1933年の三陸沖地震(遡上高28メートル)などである.慎重な地質学者ならば,過去の三陸沖と同程度の津波が福島第一原発を襲う可能性を排除することはなかったであろう.

地震マグニチュードの推定

福島第一原発の建設が始まった当時,地震学者は地球の地殻および上部マントルを伝播する比較的短周期の地震波の測定値を使って「表面波マグニチュード」を算出し,これを地震の規模を表す値としていた.非常に大きな地震の規模をより正確に推定するために必要となる長周期地震波を記録できる地震計は,ちょうどこの頃に使われ始めたばかりだった.1960年代に知られていた最大の地震は表面波マグニチュード約8.5だった.したがって,当時マグニチュード9.0クラスの「巨大地震(メガクエーク)」の存在は知られていなかった.

1960年代半ばには,より長周期の地震を記録できる地震計の使用により地震学者は「地震モーメント」を算出できるようになった.いくつかの地震について,表面波マグニチュードと地震モーメントの比較を行うことにより,いかに地震モーメントの値が大きくなろうとも,表面波マグニチュードでは8.5以上大きな値を取らないことが分かった(Kanamori and Anderson, 1975).1970年代半ばまでには,地震学者は,大地震の規模の定量的評価において,表面波マグニチュードではなく,地震モーメントを用いるべきであるとの総意に至った.

ところが,ほとんどすべての地震学者が1970年代半ばまでには地震モーメントという概念を知っていたとしても,技術者,政府関係者,そして一般の人々はそうではなかった.地震マグニチュードの使用を完全にやめることもできたかもしれないが,それには相当の啓蒙活動が必要であった.これを避けるため,カリフォルニア工科大学の金森博雄教授は,地震モーメントを新しい「モーメント・マグニチュード」という尺度に換算する方式を提案した(Kanamori, 1977).この換算方式の良いところは,マグニチュード8.0以下の場合は,モーメント・マグニチュードが,表面波マグニチュードとおおよそ同じ値となるが,もっと大きな地震では,マグニチュード9.0あるいはそれ以上の値となり,実際の規模を反映することができる点にある.

1977年以降,これまでに2つの「巨大地震」があった.モーメント・マグニチュード9.32004年のスマトラ島沖地震(Stein and Okal, 2007)とマグニチュード9.02011年の東北地方太平洋沖地震である.ちなみに,金森2は,最近,これら2つの地震を表面波マグニチュードで測れば, それぞれ,8.68.2になるとしている.これは,モーメント・マグニチュードという新しい尺度の導入以前であれば,2004年および2011年の地震は,「巨大地震」とは評価されなかっただろうということを示している.1980年頃までに得られていたマグニチュード9クラスの「巨大地震」が存在するとの地球科学的知見は,福島原発の地震・津波対策の見直しにつながるべきであったが,そうはならなかった.

古津波研究の発展

福島第一原発の建設当時から比べて,津波研究は大きく進歩した.海底に津波計が設置されて,その計測値の一部はリアルタイムで入手することもできるようになった.津波発生,伝播,遡上高の数値シミュレーションも広く行われるようになった.なかでも,最も重要な進展は古津波研究の分野である.地質学者は,津波により海岸線から数キロ離れたところにまで残された堆積物で形成された堆積岩を解析することにより,過去数千年の津波による洪水の状況を詳しく推定することが可能になった.この手法により過去の「巨大地震」について信頼性の高い証拠を得ることができるようになったのである.

東北地方の日本海側で起きた1983年の日本海中部地震の津波の堆積物の研究から,地質学者たちは,過去の津波の証拠を探す際に何に気をつけるべきかについて,重要な手掛かりを得た.東北電力の女川原子力発電所の地質学者の研究(阿部ら,1990)や他の独自調査(Minoura and Nakaya, 1991)では,この知識を用いて,869年に起きた大きな地震「貞観地震」の後に非常に大きな津波が仙台平野を襲ったことを明らかにした.これらの1990年代の研究は,福島第一原発を含む東北地方の原発の地震・津波対策という点で,津波のリスクの高さを示した最初で且つ最も重要なものである.

古津波研究によって得られたこの地質学的証拠は,歴史文書を読む際の重要な視点を提供することになった.歴史書で単に貞観津波は「1000人の犠牲者を出した」とあるのを読むのと, これを,4キロメートル内陸まで浸水されたことを示す古津波研究の証拠と照らし合わせて見るのとでは全く異なる.照合により,貞観地震が非常に大きな地震であったことが推測されるからである.1896年と1933年の三陸の津波による浸水地域との比較から,地質学者らは,貞観地震は過去のいくつかの研究で見積もられていたマグニチュード8.38.5よりも大きなものであったと結論づける

2001年には,箕浦幸治教授ら東北大学の研究者たちは,貞観の津波がマグニチュード8クラスの普通の「沈み込み地震」によって引き起こされる津波よりも遥かに大きかっただろうと論じただけではなく,先史時代に他に2つ同程度の津波があり,過去3000年間では合計3回巨大津波が発生したことを示す地質学的証拠を提示した.これら3つの古津波は概ね3.11津波と同規模である.箕浦の研究グループは,仙台平野が平均して約800年~1100年の周期で巨大津波に襲われていたことを示す有力な証拠を提示し,以下のように論文を結んでいる.「869年の貞観津波から1100年以上の時間が経っている今,反復周期を考えれば,仙台平野を巨大津波が襲う可能性は高い.数値シミュレーションによれば,貞観クラスの津波が襲えば,現在の沿岸地域の平野は2.5から3.0キロメートル内陸まで浸水するだろう.」(Minoura et al., 200187ページ).

地震ははっきりとした周期では起きないので,東北地方において巨大津波が3回起きたという証拠は,必ずしもすぐに巨大地震がすぐ来るという証拠と見なされるべきだったという訳ではない.しかし,これらの研究が,1000年程度の平均間隔で巨大津波が東北地方を襲っているとの明確な証拠となっていることについては,議論の余地がないように思われる.それにもかかわらず,東京電力,日本の規制当局,さらには,ほとんどの地震学者さえも,古津波研究に十分な関心を示さなかったのである.

2004年スマトラ島沖地震

2004年にマグニチュード9.3のスマトラ島沖地震が起き,それによって発生した津波がインド洋全体に甚大な被害をもたらした. この地震以前には,「巨大地震」が起こるのは限られた「沈み込み帯」だけであり,スマトラや東北ではこのような大きな地震が起きる危険性はないと考える地球科学者もいた.しかし,2つの重要な研究が,スマトラ地震はこの考え方が誤っていることを示していると指摘した.(Stein and Okal, 2007; McCaffrey, 2008).いずれにせよ, すでに2004年以前に,古津波研究が,東北地方に「巨大地震」が起きていたことを明らかにしていた.

2004年のスマトラ島沖地震・津波の後,2006年に原子力安全委員会が原発の地震対策についてのガイドライン(NSCRG, 1978)を改訂した.津波に対する新しい予防措置は,一般的なもので,福島や他の原発における目立った津波対策強化をもたらさなかった.東京電力とその大学共同研究者ら(Yanagisawa et al., 2007)は,まず特定の震源モデルによる地震を想定しておいて,その後数値シミュレーションによって最大津波高の算出を試みるというアプローチを取ったが,彼らは歴史的津波,古津波のデータを軽視した.

2009年の公聴会

2009年,東京電力と規制当局は,見直しと設計改善の機会をまた逃してしまう.結局これが最後の機会となった.日本政府の委員会(総合資源エネルギー調査会原子力安全・保安部会の耐震・構造設計小委員会 地震・津波,地質・地盤合同WG)は原発の地震・津波対策見直しのための一連の公聴会を開いた.20096月に開催された公聴会3 では,WGの委員で,政府系の産業総合研究所の岡村行信活断層・地震研究センター長が,貞観のデータに基づいて大規模な津波のリスクについて強い警告を発した.しかし東京電力の代表者らは20097月に行われた次の公聴会で行った発表において,岡村委員の警告の最も重要な部分について応えを示さなかった.東京電力は,貞観地震のある特定のモデルを使った場合,福島第一原発では地震対策用の設計基準を超える事態にはならないことを示すシミュレーション結果を提示した.しかし,この時東京電力の代表者らは貞観クラスの地震によって生じる巨大津波が起こしうるリスクについては議論しなかったのである.

原子力発電所の安全設計への影響

福島第一原発の大事故は,原子炉の防波堤が不十分であったことを示している.しかし,とりわけ重要なのは,非常用電源の設計がまずく,大津波に耐えられなかったことである.国際原子力機関(IAEA)は,安全対策上の設計を行う際には「想定起因事象(PIE)」を考慮に入れなければならないと,明確に規定している.想定起因事象は,1万年に一度以上起こる可能性のある事象である.各国の原子力関連法規は,想定起因事象が,「放射能漏れを,全く,あるいは,わずかしか,起こさない」ようにしなければならないとのIAEAの規定を包含することになっている.過去3000年の間に,貞観津波および他の2つの似た津波が起きており,これらの津波(あるいは更に大きな津波)を想定起因事象の一つとして使うべきであった.2009年のIAEA「立地評価安全ガイド」,さらには2003年のIAEA「沿岸・河川地域浸水危険性安全ガイド」(2004年のスマトラ島沖地震・津波の1年前に発刊されたもの)は,歴史的津波を徹底的に考慮するよう明確に規定している.これとは対照的に,日本のガイドライン(NSCRG, 1978)は,2006年の改訂後もなお,津波の危険性について,漠然とした文言が入っているだけで,電力会社に対し明確な要件を課していない.

すべての原発にとって,冷却装置用の強靱な非常用電源は欠かせない.しかし,福島第一原発のケースではこの要件は満たされていなかった.福島第一原発では,安全余裕(安全裕度)があまりにも小さかった.特に3.11のときに起きたような複数安全装置の「共通原因故障」をもたらしてしまうような大きな津波に対してそうだった.主要冷却用ポンプの電気装置,配電盤,非常用ディーゼル発電機などは,浸水に対して遙かに高い耐性を備えているべきだった.これらの装置は満潮潮位よりも高い位置に設置されるべきであったし,水密性に対しても十分に注意を払うべきであった.

福島第一原発は,すべての通常もしくは非常用の冷却システムが故障した場合に備え,炉心冷却と格納容器の熱除去のために,津波に耐えうる独立した緊急システムを作っておくべきであった.スイスの原子力発電所にはそのようなシステムが存在する.これは,その冷却水のほとんどを,地下水供給源から得るようになっている。地下水供給施設は、地震や洪水に耐えうるようにバンカー(掩蔽壕)で守られており,通常の取水設備とは別のものである.リスク分析の結果は,この二重の緊急システムのおかげで,スイスの原発の炉心損傷の確率が極めて低いことを示している.スイスのシステムは防水性があり,テロリストの攻撃や航空機の墜落にも耐える構造で,安全余裕の高い耐震性を備え,全交流電源喪失(ステーション・ブラックアウト)の際には10時間無人で機能することができる.バンカー内に設置された燃料タンクは優に2日分の供給量を備えている.また,施設は近傍の川の水位より十分に高い場所に設置され,極端に大きな氾濫があっても耐えられるようになっている.たとえ,上流のダムが決壊するようなことがあってもである.スイスの安全当局は,1980年代後半にこの緊急システムを既存・新規両方の原発で備えることを義務付けた.同じことを日本の規制当局がしなかったことは,残念である.こうした追加的緊急システム,あるいは福島における津波対策の強化だけでも,安価というわけにはいかなかっただろうが,これらがあれば,最終的に起こってしまった福島第一原発の大事故を防ぐことができたかもしれない.この事故は,もちろん,経済的および人的被害の両面において,考えうる限りのいかなるバックフィット(既存の施設への新しい規制の適用)よりも遙かに高くつくことになるであろう.

福島第一原発の他の重大な欠陥として,操作不能となったフィルターなしの格納容器ベント・システムと,原子炉建屋内の水素再結合装置の欠如がある.これらにより,3件の水素爆発が起こり,周辺環境に大量の放射性物質が放出された.事故時も安定的に機能するベント・システムと受動自動触媒式水素減少システムがあれば,水素爆発は防げたし,大部分の放射能を格納容器内に保持できたはずである.

シビア・アクシデント・マネジメント上の欠陥

福島第一原発事故がもたらした影響の一つは,例えば,重大な自然災害に起因する大規模破壊と同時に起こる長時間に亘る全交流電源喪失(ステーション・ブラックアウト)のような,最悪の状況について,全世界の原子力施設がよりよい対策を講じる必要が生じた,ということであろう.一カ所に設置する原子炉の数が多ければ多いほど,その分だけこのアクシデント・マネジメントの要件の重要性が増す.福島では,蒸発により低下した水位を回復し,それによって123号機の炉心損傷を防ぐためには,原子炉の圧力を早い段階で下げるのが最善の方法であっただろう.しかし,そのために必要な装置は操作不能となっており,また,応急対策の効果はなかなか現れず,結果として炉心のメルトダウンを防ぐことが出来なかった.非常用バッテリーの充電と圧縮空気を2時間ほどで回復するのに必要な可動式の発電機と圧縮機は,圧力逃し弁を開けておくために必要不可欠なものである.また,可動式のディーゼル式ポンプは,原子炉と燃料プールに水を注入するために重要なものであるが,福島にはこれもなかった.このような装置およびすべての関連機器は,地震,津波,その他の自然災害から守られた安全な場所に設置し,いつでも使用できるようにしておかなければならない.

日本の組織体制の問題

日本政府は地震学に関する2つの大規模なプロジェクトを展開している.一つは長期的な「確率論的地震動予測地図」の公表であり,もう一つは,東京から名古屋までの太平洋沿岸を起点とする「東海地震」と呼ばれる「想定地震」の直前(三日以内)予知を目的とするプロジェクトである.この2つのプロジェクトはいずれも科学的に重大な問題をはらんでいる.3.11大地震を含め,これまでの30年間の壊滅的地震は,予測地図においてリスクが低いとされてきた場所で発生しており,このことは予測地図の作成手法に欠陥があることを示している.また,「東海地震」予知の可能性もほとんどゼロである(Geller, 2011).いずれにせよ,東海地方の「沈み込み帯」で大地震が起こる可能性が,他の地域に比べて幾分なりとも大きいと想定する理由などどこにもない.

1975年頃から,日本国民は,差し迫った危機ということになっている「東海地震」,「東南海地震」,「南海地震」に関する議論を繰り返し聞かされてきた.これらの地震についての繰り返しの説明の結果,東北地方の住民は,自分たちの地域が,大きな地震や,それに伴う津波に襲われるリスクはないと思い込んでしまったのではないだろうか.また,「東海地震」に関する延々と続く議論の結果,福島第一原発における津波のリスクについて,原発の事業者と規制当局が十分な注意を払わないという事態がもたらされた可能性もある.

政府の確率論的地震動予測地図は,「固有地震」がほぼ周期的に繰り返し,これらは,マグニチュード8以下だとの時代遅れの考え方に基づいて作られている.3.11の地震は,マグニチュード9クラスで,マグニチュード8の地震の30倍ものエネルギーを解放したものである.もし規制当局が,詳細であるかに見えるが実は誤っている政府の長期的な確率論的地震動予測地図に頼るのではなく,1950年から2010年までに世界で起きた4つのマグニチュード9クラスの地震のことを考慮に入れていれば,福島第一原発の事故を事前に回避することができたかもしれない.

一国の「安全文化(セイフティー・カルチャー)」を確立するためには,原子力発電所事業者が最大限の安全基準を遵守することだけではなく,安全規制当局が,国の安全基準を最新のものに保ち,必要に応じて原子炉の近代化を義務付けることが必要である.「安全文化」を確立するには,規制組織と原子力産業との間の明確な区別が必要である.現在,日本の主な規制機関は原子力安全・保安院であるが,この機関は経済産業省の下にあり,IAEAの原子力安全条約が要求している意味での独立機関とは言えない.福島第一原発事故が起きてしまった今,早急に,正真正銘の原子力安全検査・監督機関を経済産業省の外部に設立するべきである.また,原子力安全・保安院の活動を監督する役目を負う原子力安全委員会の規制権限に関しては,再検討し,強化すべきである.

結論

現在の科学的知見から言って,フクシマ事故を「想定外」の自然災害とみなすことはできないだろう.実際,津波の危険性は知られていたのにもかかわらず,問題が何年も放置され,政策決定者らが何の具体的な措置もとらない状況が続いていた.これからも日本の電気供給において原子力エネルギーは重要な役割を担い続けるだろう.しかし,フクシマの大災害を経験した今,原子力産業と規制体制における改革が不可欠である.日本の原子力部門は,新たな透明性,独立した強力な規制当局,原子力安全関連法規の最新化,そして津波・地震の危険に曝された全ての原発の安全性の改善無しに,社会的な信用・信頼を取り戻すことは出来ない.日本の原子力部門は新しい価値観を真摯に受け入れ,これを採用・実行しなければならない.この実現のためには国際的な支援が欠かせないであろう.

参考文献

阿部 壽,菅野 喜貞,千釜 (1990) 仙台平野における貞観11 (869) 三陸津波の痕跡高の推定 地震 第2輯43: 513-525 下記のリンクより取得可能http://www.
journalarchive.jst.go.jp/japanese/jnltop_ja.php?cdjournal=zisin1948
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Geller RJ (2011) Shake-up time for Japanese seismology. Nature, 472: 407-409.

Iida K (1984) Catalog of tsunamis in Japan and its neighboring countries, Special Report. Aichi Institute of Technology, Toyota-shi, Japan.

Kanamori H (1977) Energy release in great earthquakes. Journal of Geophysical Research, 82: 2981-2987.

Kanamori H and Anderson DL (1975) Theoretical basis of some empirical relations in seismology. Bulletin of the Seismological Society of America, 65: 1073-1095.

McCaffrey R (2008) Global frequency of magnitude 9 earthquakes. Geology, 36: 263-266.

Minoura K and Nakaya S (1991) Traces of tsunami preserved in inter-tidal lacustrine and marsh deposits—some examples from northeast Japan. Journal of Geology, 99: 265-287.

Minoura K, Imamura F, Sugawara D, Kono Y, and Iwashita T (2001) The 869 Jogan tsunami deposit and recurrence interval of large-scale tsunami on the Pacific coast of northeast Japan. Journal of Natural Disaster Science, 23, 83-88, 2001. 下記のリンクより取得可能:http://jsnds.org/contents/jnds/list.html.

NSCRG (1978) L-DS-I.02 Regulatory Guide for Reviewing Seismic Design of Nuclear Power Reactor Facilities 1978, revised in 2006.

Stein S, and Okal EA (2007) Ultralong period seismic study of the December 2004 Indian Ocean earthquake and implications for regional tectonics and the subduction process. Bulletin of the Seismological Society of America, 97: S279-S295.

渡辺偉夫 (1998) 日本被害津波総覧 2版,東京大学出版会.

Yanagisawa K, Imamura F, Sakakiyama T, Annaka T, Takeda T, and Shuto N, (2007) Tsunami assessment for risk management at nuclear power facilities in Japan, Pure and Applied Geophysics, 164: 565–576.

(敬省略)

日本語版編集責任

翻訳:冨士 延章(ふじ のぶあき)
構成:川村 真理(かわむら まり)
監修:Robert J. Geller(ロバート・ゲラー)
編集協力:田窪 雅文(たくぼ まさふみ)


1 様々な情報源から過去の津波データを集積したデータベースは主に2つある.ひとつは米国海洋大気圏局の地球物理データセンター(http://www.ngdc.noaa.gov/hazard/tsu.shtml)であり,もうひとつはロシアのノヴォシビルスク津波研究所(http://tsun.sscc.ru/nh/tsun_descr.html)である.

2 20116月の私信による

3 20096月および7月の公聴会議事録は下記のリンクより取得可能:
http://www.nisa.meti.go.jp/shingikai/107/3/032/gijiroku32.pdf
http://www.nisa.meti.go.jp/shingikai/107/3/033/gijiroku33.pdf


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Topics: Nuclear Energy

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